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アストラニェーニ椅子ファハーンは世界の半分

異化のこととか考えてます。

開設

(開設の辞とか要るのか?)

 ロシア文学・文化の授業やら学友から「異化」という概念を学び、ひょんなことからV・ソローキン『青い脂』を読んでそれをネタにレポートを書こうとボリス・ラーニン、貝澤哉ユーラシア・ブックレットno.199 ソローキンとペレーヴィン ──対話する二つの個性』を読み、授業の期末試験で「異化」や「ザーウミ」の説明の記述をさせられ、学友たちやある教授と「異化」について話し、とまあ最近なんだか「異化」に関することが色々とあって、「異化」についてよく考えるようになった。「異化」についてなにやら考える度に、140文字以内あるいはそれ以上に纏めてツイッターに垂れ流していたりしたのだが、まぁもうちょっとまともな形にして残しておくかと思いはてなブログという場を借りた次第である。

 

 基本的にここには自分で考えたことばかり書くと思う。なにせ僕は本を読む、読み切ることが苦手なのである。なんでそんな奴が文学部、しかも文学科にいるんだという話だが、自分でもそう思う。たぶん文学部の中で読み切った本の冊数でランク付けしたら、僕はかなり下の方に入るんじゃないかと思う。レポートを書くにも参考文献の数はいつも必要最小限しかない。こんなんでこの先どうするのだといつも自分で思っているし、きちんと本を読み切れるようになろうともいつも思っている。が、数年前からそんなことを思ってて現状こんなんなので、まぁ簡単に矯正できるもんじゃないなぁと半ば諦めつつある。

 

 ぶっちゃけ「異化」の話をしようというのに僕はシクロフスキーもブレヒトもまともに読んでいない。そして読まなきゃなぁと思っている。経験上、これはもう読まないパターンだ。僕は教授や学友から聞いた話のみで「異化」について考えているし、語っている。たぶんちゃんとした研究者根性を持つ人からすれば、正気の沙汰とは思えないようなことだろう。自分でもあんまり正気の沙汰とは思っていないが、まぁあくまで個人的な趣味としてこんなものを綴っているつもりである。

 

 とまぁそんなわけでここに書かれることは大半が僕個人の考えの垂れ流しであって、大した価値があるわけでも学術的な正しさがあるわけでもない。それに僕程度が考えるようなことは人類の長い歴史上で誰かが既に考えて発表し終えているようなことだろう(いつぞやのセンター試験の国語の問題でこんなこと書かれてたなぁ)。それこそシクロフスキーやブレヒトに書かれていることかもしれない。その大半を浅学な僕は知らないのであって、厚かましくもそういうことをさも自分が最初に思いついたことであるかのようにここに書くのである。別に読者がいるとも思っていないが、ここに書かれていること、及びその批判なんかを先に言った人間がいるなら紹介してくれると嬉しいし、浅学な僕が誤った理解をしている点があれば指摘してくれると感謝に堪えない。前述のように僕はそもそもシクロフスキーすら読んでいない浅学なので、ちゃんと読んでいる人間からはどんなにボコボコにされようとも文句を言えないし、言わない。まぁ基本的にはそれこそザーウミだとでも思って読んでもらえばいいんじゃないだろうか。

 

 というか、基本的には個人的な忘備録のつもりである。飽きっぽい性分にしていつまで続くか、そもそも浅学にしてどこまでネタが持つのかと色々と不安だし、この開設の辞を持って更新が終了することも大いに考えられうるが、今はまぁその気になったときにその気になっただけ書いてみるか、という気持ちである。